小浜西組(丹後街道・元料亭酔月)

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小浜西組(元料亭酔月・国重要伝統的建造物群保存地区)
【小浜西組】小浜西組を構成する「香取区」は案内板によると「明治7年、旧常在小路、漁師町と柳町の一部を合わせて現香取区となりました。合併時の戸数は97戸でありましたが、現在55世帯。区名の由来は、千葉県香取神宮にちなんで付けられました。猟師町、柳町、清水町の三町は料亭や旅館が多かったことから別名三丁目町という茶屋町の呼称があります。」と記されています。

小浜西組を構成する「飛鳥区」は案内板によると「明治7年、旧青井村の一部と柳町を合わせて現飛鳥区となりました。合併時の戸数は120戸でありましたが、現在72世帯。区名の由来は、奈良県飛鳥神社にちなんで付けられました。柳町、猟師町、清水町の三町は料亭や旅館が多かったことから別名三丁目町という茶屋町の呼称があります。」と記されています。

小浜西組は江戸時代に小浜藩の本城である小浜城の城下町として町割りされた町で、茶屋町と寺町、商家町が混在する特徴があり、区内には領内の大動脈の1つ丹後街道が通過していました。丹後街道は越前国敦賀(現在の福井県敦賀市)と丹後国宮津(京都府宮津市)を結ぶ街道で、越前、若狭側からは丹後街道、丹後側からは若狭街道と呼ばれていました。小浜藩は若狭国の1国を支配していた事から若狭国を縦断する丹後街道は領内の大動脈で、小浜城の城下町と北国街道の今庄宿に到る区間は藩主である酒井家の参勤交代の経路でもあり、小浜西組は京都へと続く鯖街道(若桜街道)の起点でもありました。又、小浜西組の山沿いには小浜藩主酒井家の菩提寺である空印寺、若狭国守護武田信親の菩提寺である栖雲寺、浅井三姉妹の「初」の菩提寺である常高寺、若狭国安国寺の後継寺院である高成寺などの名刹が点在する寺町でもあり、小浜西組は風情ある茶屋町、山沿いの寺町、街道沿いの賑やかな商家町とで構成されている事になります。現在でも小浜西組には良好な町屋建築や茶屋建築が数多く残され、歴史ある町並み景観を保持している事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

【元料亭酔月】−小浜西組の町並みの中で異彩を放っているのが元料亭「酔月」の建物です。元料亭「酔月」の建物は明治時代初期に建てられたもので、木造2階建て、入母屋、桟瓦葺、平入、外壁は欄間部が真壁造り、白漆喰仕上げ、その他は縦板張、屋根にはあえて複数の折り返しをつけて建物に表情を加え、1階の開口部は格子戸と伝統的な意匠を踏襲する1方で2階は大きなガラスの引き戸にするなど当時の洋風建築の要素を取り入れています。内部も料亭らしい瀟洒な意匠が随所に施され、非日常空間を演出しています。現在は小浜市に寄贈され「町並みと食の館」として整備され、1階が展示コーナー、食膳の間、厨房、2階が食膳の間、展示室、和室、給湯室となり一部見学する事が出来ます。元料亭「酔月」は小浜西組を代表する明治時代の料亭建築の遺構として貴重な存在で、町並み景観に大きく寄与しています。

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