乙宝寺 |
【乙宝寺・概要】−乙宝寺は松尾芭蕉が越後路で訪れた数少ない寺院の一つです(曾良日記上)。真偽は不詳ですが、奈良時代に創建された際、婆羅門僧正が釈迦の左目を収めた事から「乙寺」と呼ばれるようになったと伝えられています。境内には奈良時代の「塔の心礎」が残されている事からも越後国(新潟県)を代表する古刹である事は間違い無く、当時の越後国北部の仏教界の中心的な存在だったと思われます。釈迦の左目を収めた乙宝寺仏舎利は応永31年(1424)に陸奥の伊達家に奪われ、当時の越後国守護の上杉房資が買い戻して、再び乙宝寺に寄進するなど周辺の大名からも特別な存在だった事が窺えます。戦国時代には上杉謙信、江戸時代初期には村上藩主村上家から篤く帰依され大きく繁栄しています。
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弥彦神社 |
【弥彦神社・概要】−弥彦神社の創建年は判りませんが、越後国が大和朝廷から開発される過程で大きく関わったとされる伊夜日古大神(天香山命)が祭られています。弥彦神社が鎮座する弥彦山が当時の大和朝廷の日本海側の勢力の北限だった事から、国境を鎮護する神社として大変重要視されました。格式も高く、越後国府の近隣に鎮座し国の祭祀を司ったと思われる居多神社(新潟県上越市)と同等で両社共に越後国の一宮を自称しています(糸魚川市の天津神社を一宮とする説もあります)。弥彦神社は周辺の土豪や越後を制した上杉謙信から信仰され、特に永禄7年(1564)に輝虎(謙信)が弥彦神社に奉納した願文が有名で弥彦村指定文化財に指定されています。江戸時代に入ると、高田藩主や長岡藩主が庇護しています。
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西生寺 |
【西生寺・概要】−西生寺の創建の真偽は不詳ですが、乙宝寺同様に奈良時代に行基が開山したとし、寺伝が正しければ乙宝寺よりも3年程早く開かれた事になります。本尊(秘仏:12年に1度御開帳)の阿弥陀如来像は3層構造で、1番の内部には印度で鋳造された純金仏で、それを、行基が開山の折、自分が彫刻した阿弥陀如来像の胎内に納め、さらに後の世で彫刻された現在の本尊である阿弥陀如来の胎内に行基作の阿弥陀如来像を納めています。又、西生寺では現在知られる中では日本で最も歴史のある即身仏が祭られ、寺伝よると下総国出身の弘智法印は東国で修行の旅を続け、貞治2年(1363)に最後に当地に訪れ修行を終えると入定し即身仏になったと伝えられています。江戸時代後期には良寛和尚も滞在しています。
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