【魚沼街道】−魚沼街道(鯖石街道)は北陸街道の柏崎宿から分岐して魚沼地方を結ぶ街道です。魚沼地方は越後縮布が一大生産地で縮布は陸路で柏崎に集められ、北前船の寄航地だった柏崎港から荷揚げされ大消費地へと運ばれていきました。越後縮布とは小千谷を中心に魚沼地方で産出された高級麻織物の事で、小千谷が最大の集積地として繁栄し代名詞的な存在となった為、「小千谷縮み」との別称がある程でした。元々、カラムシ(イラクサ目イラクサ科の多年生植物、紵、苧麻、青苧、山紵、真麻、苧麻などの別称がある。丈夫な靭皮繊維が取れる)の産地で、需要が高まるに連れ栽培し麻織物を産出するようになり、特に耐久性で繊細な触りごごちだった為、室町時代には全国的にも知られるようになっていました。戦国時代に入ると一大産業として発展し、莫大の金銭が動くようになると、領主である上杉謙信は本座衆の独占を禁止、それにより上杉家に多くの税収が入るようになり財政の一翼を担うまでになりました。越後縮布の生産は江戸時代中期の天明年間(1781〜1788年)が最盛期で年間20万反を産出し、日本海側の集積地となった柏崎周辺には2000人を越える大行商団があり大消費地である江戸や大坂、京都をはじめ、全国津々浦々まで販路を広げ莫大な利益を上げました。しかし、江戸時代後期になると15反、江戸時代末期には7万反弱、明治時代には2反余と激減し魚沼街道(鯖石街道)の重要性も次第に失われました。
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