鯖街道:町並み(小浜西組・熊川宿・遠敷)

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小浜西組
小浜西組【小浜西組・概要】−小浜西組は江戸時代に小浜藩の藩庁、藩主居館として築かれた小浜城の城下町として町割りされた町です。大きく、鯖街道丹後街道の宿場町、寺町、遊郭の3つの要素が合わさった町で、それぞれ雰囲気の異なります。宿場町は商業を生業とする商家の町屋建築が軒を連ねた賑やかな印象で、遊郭は千本格子の出格子を持ち、外壁が色付の漆喰で仕上げられた茶屋建築が点在し風情ある町並みが続きます。寺町には古刹が多く門や土塀などが続き落ち着いた雰囲気があります。小浜西組は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

熊川宿
熊川宿【熊川宿・概要】−熊川宿福井県若狭町)は鯖街道の宿場町として成立した町です。熊川宿は舟運の川湊(河岸)が併設され、ここが最上流の川湊だった為、日本海の海産物や塩などは舟運で熊川宿まで運ばれ、ここでからは陸路で京都を目指しました。又、地域の物資の集積地でもあり、熊川宿には小浜藩の藩蔵が設けられ、行政を行う為の藩の役所も設けられていました。さらに、若狭国と近江国の国堺まで、熊川宿以降は宿場町が無かった為、小浜藩の口留番所が設けられ、人や荷物の出入りを管理していました。熊川宿は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

遠敷
遠敷【遠敷・概要】−福井県遠敷は古代若狭国の中心地だった土地柄で、周辺には若狭国の国分寺(木造薬師如来坐像は国指定重要文化財)や、若狭国一宮の若狭彦神社(本殿、随神門、神門は福井県指定文化財)、若狭国二宮の若狭姫神社(本殿、随神門、神門、社叢は福井県指定文化財。※現在は両社共に若狭国一宮)、神宮寺(若狭彦・姫神社の旧別当寺院・本堂、仁王門、木造男神、女神坐像は国指定重要文化財。)などの古社や古刹が点在しています。現在の町並みは若狭姫神社の門前町、丹後街道の街道沿いの町として成立し、その後、市場町となり多くの物資の集積地となりました。
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鯖街道(若狭街道)
【鯖街道・概要】−正式名は若狭街道ですが、特に日本海で採れる鯖を京都まで運んだ事から愛称として「鯖街道」と呼ばれ親しまれてきました。古代の日本の外交相手は日本海の対岸に位置する国が主だった為、敦賀湊に朝廷の現在でいう迎賓館や外交施設が設けられ、それらと京都を結ぶ街道が整備されました。その後は日本海の新鮮な海産物や塩を京都まで運ぶ物資流通の重要な経路として多くの往来があり、時には京都で戦乱があった場合、要人達は鯖街道を利用して当地まで避難しました。その為、京都から高い技術や文化が若狭地域に流入し独自の文化圏が形成され、現在でも国宝や国指定重要文化財に指定されている多くの遺物が点在しています。又、江戸時代に入ると小浜藩が街道筋を整備し特に熊川宿には藩の熊川奉行所、蔵奉行所、関所(番所)が設置され重要視されました
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