丹後街道(小浜西組)・町並み

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項     目 場  所 備  考
・敦賀宿 福井県
・敦賀市
・敦賀は古代、大陸との玄関口だった地で、朝廷は迎賓館を設けて交易を行いました。その後も敦賀で荷揚げされた物資が陸路と琵琶湖を利用して都(京都・奈良)に運び込まれています。安土桃山時代には豊臣秀吉の家臣である大谷吉継が配され居城となる敦賀城を整備拡張しています。吉継は敦賀港を篤く保護し、ここを拠点として交易を盛んに行い、特に伏見城の普請の際には安東氏(秋田氏)から秋田杉が敦賀まで搬送されています。慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで大谷吉継は西軍に与し戦場で散った為、大谷家は改易となり、敦賀は福井藩領に含まれます。さらに一国一城令により敦賀城は廃城となり、福井藩の出先機関である代官所などが設置されました。江戸時代の敦賀港は西回り航路の北前船の寄港地として栄え、丹後街道や北国街道を通して物資が運ばれていきました。
・遠敷 福井県
・小浜市
・遠敷
・遠敷は古代若狭国の中心だった地で、当時は若狭国府、若狭国分寺、若狭国一宮(若狭彦神社・若狭姫神社)が設けられました。中世に入ると国府は衰退しましたが、若狭彦・姫神社は引き続き信仰の対象となり、さらに神官家が領主と姻戚関係を結んだ事で大きな影響力を維持しました。特に若狭姫神社の参道は門前町として繁栄し、周辺の市場町になった事で物資の集積が図られました。江戸時代に入り鯖街道(若狭街道)丹後街道が開削されると両街道が遠敷の門前町を通過した事から多くの往来があったと思われます。遠敷は鯖街道(若狭街道)や丹後街道の宿場町では無かったものの、それに準じるような役割を持っていたと思われます。
・小浜西組 ・福井県
・小浜市
・小浜(小浜西組)の地は古くから若狭国の中心だった地域で若狭国府や、国分寺、若狭一之宮の若狭彦神社や若狭姫神社が設けられました。中世に入ると後瀬山城に守護所が置かれ引き続き武田家などの守護が居城として利用しました。江戸時代に入ると京極高次が入封し小浜藩を立藩、後瀬山城は山城で堅城だったものの、平和な時代には無用な長物となった為、平地に小浜城を築城しました。小浜西組は、小浜城の城下町として町割された町で、幾度の変遷を経て現在に近い形となり、大きく丹後街道沿いの町人町、山沿いの寺町、遊郭だった茶屋町に分かれていました。小浜西組は現在でも伝統的で良好な町並みが残されており、名称「小浜市小浜西組伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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