上松宿(中山道・木曽路)

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上松宿(中山道・木曽路)
【上松宿】−上松宿は木曽氏19代当主、木曽義昌の実弟、木曽義豊が当地に居館を設け、その城下町として整備されました。麓に境内を構える玉林寺も木曽氏と縁のある寺院で17代当主義在の弟が出家して創建したとされます。慶長6年(1601)に正式に中山道(木曽路)が開削されると宿場町として整備され、特に特産物である木曽桧の集積地として経済的にも発展しました。当時は尾張藩の領域だった為、藩直営の上松材木役所が設置、役所といっても規模は南北65間、東西55間、敷地面積3500坪と広大で周囲には土塁と柵を築き大砲を設置するなど当地域の軍事的、行政的な拠点となり、奉行、吟味役、調役、目代、元締、同心などの藩の役人が派遣されていました。木曽地方には木曽5木と呼ばれる「檜」、「椹」、「翌檜」、「杜松」、「高野槙」の産地として知られていましたが、江戸時代初期は代官である山村の管理の下、乱伐が続き禿山も見られるようになった為、尾張藩では寛文3年から4年(1663〜1664年)にかけて調査を行い、これらの事態に危機感を覚えた尾張徳川家は山村氏から権限を採り上げて藩直営にして厳しく管理させたそうです。上松宿は上町、本町、仲町、下町で町割され昭和初期まで古い町並みを残していましたが昭和25年(1950)の大火により多くの町屋が消失し、現在は火災を免れた上町のみが僅かにその名残が見られます。又、上松宿は景勝地としても知られ、木曽路八景のうち「木曽の桟」、「寝覚の床(国指定名勝:浦島太郎の伝説)」、「小野の滝」の3つが宿場周辺に点在しています。
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