寝覚の床(中山道・上松宿・木曽路)

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寝覚の床(中山道・上松宿)
【寝覚の床】−寝覚の床は伝承によると、日本の昔話で有名な浦島太郎が竜宮城から戻ると、地上では既に数十年の月日が流れ浦島太郎を知る人も居らず、風景も変わってしまったので悲壮感の余り故郷を離れる事にしました。流浪の末、寝覚の床まで辿り着くと、景観が余りにも竜宮城に似ていた事から乙姫から決して開けないようにと言われていた玉手箱を開けてしまいました。すると、白い煙が浦島太郎を包み年相応の白髪の老人に戻り、浦島太郎は今までの出来事は夢のようで、やっと目が覚めたようだと語ったそうです。この伝承から何時しか当地を「寝覚」、玉手箱を開いた床状の大岩を「寝覚の床」と呼ぶようになったと伝えられています。寝覚の床を見下ろす隣地に境内を構える臨済宗妙心派の寺院である臨川寺は、浦島太郎が彫刻したと伝わる弁財天を元にして創建されたと伝えられる名刹で、参勤交代で中山道を利用する西国大名や文人墨客が当寺に休息や宿泊をして寝覚の床の景観を楽しんだそうで寺宝として浦島太郎の物と伝わる釣竿を所有しています。歴代尾張徳川家も庇護し、特に4代藩主徳川吉通が正徳岩元年(1711)に当寺を訪れた際に寝覚の床に感動し、母親の延命長寿を祈願して弁財天堂を造営し翌年の正徳2年(1712)に竣工しています。弁財天堂は入母屋、銅板葺、妻入、正面軒唐破風、桁行7尺、梁間10尺、棟梁は尾張藩御大工岩崎治兵衛是清、上松町に残る最古の木造建築物として貴重な事から上松町指定文化財に指定指定されています。又、景勝地としても知られ、寝覚の床の大小様々な岩には「床岩」、「獅子岩」、「大釜」、「小釜」、「屏風岩」、「烏帽子岩」、「象岩」、「腰掛け岩」などの名称が付けられ、中央の大床には浦島堂が建立されています。さらに、中山道(木曽路)を旅した多くの文人墨客が作品の題材とし、木曽路八景に数えられ大正12年(1923)3月7日には国指定名勝に指定されています。
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