宗昌寺(中山道・大湫宿)

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宗昌寺(中山道・大湫宿)
【大湫宿】−大湫宿は中山道美濃路の最高所である標高510mに位置し難所である十三峠を控えていた事もあり重要視されました。宿場の規模は3町6間(約340m)で、北町、白山町、中町、神明町、西町に別れ、本陣は白山町、問屋と脇本陣は中町に設置され旅籠は概ね30軒前後ありました。江戸時代末期の文久元年(1861)、朝廷と幕府が一体となり国難にあたるという「公武合体」の思想から仁孝天皇第8皇女和宮と14代将軍徳川家茂との婚儀が決まり、和宮が江戸に降嫁の際の10月28日大湫宿の本陣に宿泊しています。御降嫁の行列は、2万8千人と馬820頭に及んだ事から到底1日で宿泊等を行う事が出来ず4日間に分けて行われいます。

【宗昌寺】−金城山宗昌寺は天正年間(1573〜1592年)に当地を開発し大湫村を開いた保々宗昌が慶長5年(1600)に開山し寺号は宗昌の名前に因んでいます。慶長9年(1604)に大湫宿が開宿すると、保々家は宿場内で大きな影響力を行使したので宗昌寺も重要視され控え本陣という役割を担っていました。宗昌寺が管理する観音堂は正式名「秀峰山圓通閣」と称し、大湫宿を利用する旅人や商人達の道中安全祈願の為に創建されたものです。現在の観音堂は弘化4年(1847)に再建された建物で、特に天井が格天井で60の升目には三尾静(暁峰)による鮮やかな花鳥風月の絵画が描かれた貴重なものとして瑞浪市指定文化財に指定されています。美濃瑞浪三十三霊場第4番札所(秀峰山圓通閣・観音堂・札所本尊:聖観世音菩薩)。美濃瑞浪三十三霊場第5番札所(宗昌寺)。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。

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