贄川宿(中山道・五街道・木曽路)

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贄川宿(中山道・五街道)
【贄川宿】−贄川宿は天文年間(1532〜1555年)に開かれた町で江戸時代に入り慶長6年(1601)に中山道(木曽路)が正式に開削されると宿場町として整備されました。特に江戸方向から見ると木曽谷の入口にあたる要地だった為、幕府の命により贄川番所(現在は木曽考古館として復元)が設置され、木曽11宿の北の玄関とも言われました。江戸時代後期には家屋124軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒の規模でしたが、明治維新後に宿場制度が廃止になると本陣、脇本陣、贄川番所が廃止となり衰微し昭和5年(1930)の火災により古い町並みも失われました。唯一火災から免れた当時の姿を留めている深澤家(屋号:加納屋、贄川宿を代表する豪商)住宅の主屋(嘉永7年建築、木造2階建、町屋建築)、北蔵(文政4年建築、土蔵)、南蔵(文久2年建築、土蔵)は価値が高い建物と評価され国指定重要文化財に指定されています。又、宿場から少し離れていた事から延焼を免れた鎮守である麻衣迺神社の社殿(拝殿:慶応元年・本殿:延享4年)、観音寺の山門(寛政4年、楼門建築)が塩尻市指定文化財に指定されています。

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