須原宿(中山道・木曽路)

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須原宿(中山道・木曽路)
【木曽路】中山道の中でも急峻な木曽谷の中に設けられた贄川宿・奈良井宿・藪原宿・宮ノ越宿・福島宿・上松宿・須原宿・野尻宿・三留野宿・妻籠宿・馬籠宿の11の宿場町の区間を木曽路と呼びました。風光明媚な街道としてもしても知られ、寛保3年(1742)頃に尾張藩の書物奉行をしていた松平君山が近江八景になぞって木曽路八景を選定、多くの旅人はそれらの風景に心を和ませ、感動しながら木曽路の道中を歩いたと思われます。明治維新後に各宿場町は衰微しましたが、急速な近代化が行われなかった為に随所に当時の面影が残され、特に、木曽平沢(奈良井宿の枝郷、中山道随一の漆器生産地)と奈良井宿、妻籠宿は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され観光地としても知られています。

木曽路八景
 ・ 徳音寺の晩鐘−漢詩: 千載英雄捲地来 番臺留在碧雲隈 鐘響向晩債慷概 朝日将軍安在哉
 ・ 駒 ヶ岳の夕照−漢詩: 嶺畳雲間斜照多 行人還惜白駒過 秋風何異己山忌 断続猿声右石蘿
 ・ 御嶽の暮雪−漢詩: 呉門東望白雲浮 日暮仏飆佳気流 六月雪花長不盡 千秋岳色護神州
 ・ 桟の朝霞−漢詩: 断崖高架度層巒 征客休歌蜀道難 相像天台石橋路 朝霞猶作赤城看 
 ・ 寝覚めの夜雨−漢詩: 雨鎖山亭夜色寒 飛涛触石響回湍 猶擬雲霧空濠裏 自有地仙把釣竿
 ・ 風越の晴嵐−漢詩: 宿嵐遠近翠成堆 風越山上積雨開 四月森林春始到 桜花隔水迸香来
 ・ 小野の瀑布−漢詩: 一片青山匹練懸 巉岩三級濺飛泉 回頭共怪銀河落 賦就誰能擬謫仙
 ・ 与川の秋月−漢詩: 霧横川上月三更 秋色玲瓏表裏明 応是麻布頻怯冷 山村處々聞砧声

【須原宿】−須原宿は室町時代中期頃、須原城の城下町として整備されたと推定されています。須原城は領主である木曽氏の居城の1つで永正6年(1509)に木曽義在が上之段城を築き居城を移すまで当地が中心地として機能し、現在の定勝寺木曽三大寺)境内付近には木曽氏の居館が設けられていました。その後も天正18年(1590)木曽氏が関東に移封になるまでは重要視されていましたが、廃城となり慶長3年(1598)には定勝寺が現在地に移ってきています。慶長6年(1601)に正式に中山道が開削されると宿場町として整備され木曽川沿いに町割りされました。しかし、木曽川は度々氾濫しその都度被害を受けていた為、正徳5(1715)の大洪水を契機に山沿いである現在地に改めて町割を行い享保2年(1717)に移っています。現在も比較的町並みが残され随所に往時の雰囲気が感じられる宿場町で、特に定勝寺の堂宇は貴重な存在で国指定重要文化財に指定されています。又、須原宿は幸田露伴の作品の1つ「風流仏」の舞台でもあり、明治22年(1889)に露伴が木曽路を旅した際に須原宿に滞在し「風流仏」を筆したとされます。

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