千国街道(糸魚川宿〜松本城下)

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千国街道
【千国街道】千国街道は糸魚川宿(新潟県糸魚川市)と松本城の城下(長野県松本市)を繋ぐ街道です。特に日本海の塩や海産物を信州国(現在の長野県)の内陸部まで運ぶ重要な街道でした。糸魚川宿は北陸街道と千国街道との分岐点で、糸魚川藩の陣屋町、北前船の寄港地(姫川港)として発展し、日本海の海産物は姫川港で陸揚げされ、ここを起点として陸路で信州を目指しました。雪の無い春から秋にかけては牛方と呼ばれる牛を使った運送業者が数多く存在し、宿泊や休息で利用した牛方宿は千国街道沿いに点在していました。明治維新後に近代交通網が整備されると、牛方も牛方宿も急速に失われ、唯一小谷村栂池高原の沓掛に位置する旧千国家住宅だけが現存しています。旧千国家住宅は江戸時代後期に建てられたもので木造平屋建、間口6間、奥行10間、茅葺屋根、寄棟、妻入、千国街道沿いに現存する唯一の牛方宿の遺構として貴重な事から長野県県宝に指定されています。千国宿は、善光寺(長野県長野市:北国街道善光寺宿でもある。)とを結ぶ善光寺路(国重要伝統的建造物群保存地区に選定されている青鬼集落を通過している。青鬼集落は10棟以上の古民家と隣接する棚田が当時の山間集落の景観が非常に良く残されいます。)との分岐点という交通の要衝だった事から松本藩では番所を設置し人や荷物の出入りを管理しています。大町宿は、海産物や塩などの中継地として発展した千国街道の宿場町で、近代化により古い町並みは失われつつありますが塩問屋を歴任した旧平林家住宅(塩の道博物館)が現存し往時の繁栄が窺えます。松本は松本城の城下町で、松本藩の藩都であった事から家臣達の居宅である武家屋敷も多数あり当地域では最大の消費地となりました。又、松本宿は保福寺街道善光寺西街道が分岐する交通の要衝でもあり多くの人が利用しました。

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