【藪原宿】−藪原宿は戦国時代に当地を支配した木曽義昌によって開かれた町で、慶長6年(1601)に正式に中山道(木曽路)が開削されると宿場町として整備されました。特に中山道の道中の中で難所の1つとされた鳥居峠を控え、さらに飛騨街道奈川道の分岐点でもあった為に重要視されました。天正14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると家屋266軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒、問屋2軒で構成され、「お六櫛」の生産地としても知られていました。お六櫛は元禄年間(1688〜1704年)、藪原宿に住んでいた「お六」という娘が毎日原因不明の頭痛により苦しんでいた事から御嶽山に登拝し平癒を祈願すると、「お六」の霊夢に御嶽山の御神体が出現し「ミネバリの櫛で髪をとかせば平癒するだろう」との御告げを与えました。早速、御告げに従いミネバリ(カバノキ科の落葉低木)の櫛を製作し髪をとかした所不思議と頭痛が平癒し、その噂が広まると「お六櫛」を求める人々が増えた為、一大生産地になったと伝えられています。藪原宿は明治維新後に宿場制度の廃止と近代交通の発展により衰微し、町並みも新建材により建替えられた民家が目立つようになりました。町並みの特徴の1つが宿場町の中央付近に設けられた防火用高塀の石垣で、往時はこの石垣の上に土壁の高塀が設けられ、火災時に宿場町が全焼しないような仕組みになっていました。鎮守である藪原神社は天武9年(680)、三野王(美濃王)によって創建された古社で本殿は木祖村指定有形文化財に指定されています。
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