【木之本宿】−木之本宿は北国街道の宿場町で、中山道関ヶ原宿(岐阜県関ヶ原町)とを結ぶ北国脇往還との分岐点でもあり重要視されました。北国街道は福井藩(福井県福井市・福井城)や勝山藩(福井県勝山市・勝山街道)、大野藩(福井県大野市)、小浜藩(福井県小浜市・小浜西組)、鯖江藩(福井県鯖江市・鯖江陣屋)、丸岡藩(福井県坂井市・丸岡城)、加賀藩(石川県金沢市・金沢城)、大聖寺藩(石川県加賀市・大聖寺陣屋)、富山藩(富山県富山市・富山城)が参勤交代で利用した為、木之本宿には大名など身分が高い人物だけが利用を許された本陣や脇本陣が設置されていました。集落自体の発生は早く、白鳳時代に創建されたと伝わる木之本地蔵院(浄信寺)の門前町として整備され、室町時代から昭和初期にかけては毎年2回、全国でも有数の牛馬市が開かれその時期は西国各地から数百頭の牛馬が売り買いされ盛況を極めたそうで、山内一豊の出世のきっかけとなった名馬を妻が当地で買ったとも云われています。現在でも木之本宿には古い町屋建築が点在し往時の繁栄を感じられます。
【明楽寺】−寶樹山明楽寺は真宗大谷派の寺院で文禄4年(1595)に真言宗から改宗し菩提心院から明楽寺に寺号を改めたとも云われています。創建は建久年間(1190〜1199年)で当初は山城国葛野郡安井村に境内を構えていましたが明徳2年(1391)に現在地に移り真敬和尚により中興開山しています。文明3年(1471)には蓮如上人(室町時代の浄土真宗の高僧。本願寺第8世。本願寺中興の祖)が全国を巡錫した際に明楽寺を訪れ境内には蓮如上人腰掛説法石が残されています。土地柄的に小谷城に近かった事から浅井家と関係があったようで特に、当時は浅井氏、朝倉氏(越前守護職)、本願寺は同盟関係で、織田信長と対立していた関係で6世西信は姉川の戦いにも参陣して討死し、天正10年(1582)に本能寺の変で織田信長が倒れると顕如上人書の仏恩報謝が文が発給され当寺でも保存されています。本尊:阿弥陀如来。
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