北国街道(滋賀県:木之本宿・長浜宿)

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項     目 場  所 備  考
・木之本宿 滋賀県
・長浜市
・木之本
木之本宿北国街道の宿場町として整備された町です。宿場内に境内を構える木之本地蔵院は天武天皇4年(675)に聖武天皇の勅命又は、文武天皇(697〜707年)の勅命により当地に移されたとも云われる古寺ある事から比較的早くから門前町として集落が成立していたと思われます。地蔵院の信仰は広く、空海や菅原道真、豊臣秀吉なども訪れており、領主や為政者から崇敬庇護され、例祭には多くの参拝者が訪れました。木之本宿周辺は牛馬の生産地としても知られ、宿場内には全国規模の牛馬市が開かれ、山内一豊の妻も木之本宿で名馬を求めたと伝えられています。又、北国街道北国街道の脇往還との分岐点でもあった為、参勤交代の経路だった北陸地方の諸大名や旅人、商人達が利用して大きく繁栄しました。現在でも当時の町屋建築が軒を連ね伝統ある町並みが残されています。
・長浜宿 滋賀県
・長浜市
長浜の地は天正4年(1576)に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)によって築かれた長浜城の城下町として整備された町です。以前は、近江国北部を支配した浅井家の居城、小谷城が中心でしたが天正元年(1573)秀吉を中心とした織田軍に攻められ落城し、残された建物は長浜城に転用され、城下町にあった寺院や商人も長浜に移しました。長浜城が廃城になった後も重要性が維持され、江戸時代には北国街道の宿場町、琵琶湖舟運の拠点として経済的に発展し、多くの物資の集積場、中継地となりました。現在でも黒壁の土蔵群が残され繁栄した往時の名残が見られます。
・鳥居本宿 ・滋賀県
・彦根市
・鳥居本町
・鳥居本宿は中山道の宿場町として町割りされ成立した町です。鳥居本宿は交通の要衝で北陸地方へと延びる北国街道と、徳川将軍と朝鮮通信使が利用する朝鮮人街道が分岐していました。地名は信仰を集めた多賀大社の鳥居があった事に由来しているとされ、参拝者も鳥居本宿を利用したと思われます。雨合羽の生産地でもあった為、現在でも僅かですが、木製の雨合羽を模った看板が掲げられています。懐中胃薬「赤玉神教丸」を製造販売元の有川家の邸宅は現在でも当時の姿を留め文化財指定されています。
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