貫前神社・富岡製糸場

  街道の空:(ホーム)日本全国:伝統的・町並み・探訪群馬県>下仁田街道
項     目 場  所 備  考
・吉井宿 群馬県
・高崎市
・吉井宿は下仁田街道の宿場町として成立した町ですが、宝暦2年(1752)、3代藩主松平信有が現在地に藩庁となる吉井陣屋を移した為、以後、陣屋町としての側面を持つようになりました。街道沿いには町屋建築が残される一方で、陣屋の遺構である表門や、武家長屋の遺構を見る事が出来ます。
・富岡宿 群馬県
・富岡市
・富岡宿は下仁田街道の宿場町ですが江戸時代初期に七日市藩が立藩し、七日町陣屋が設けられると城下町に組み込まれました。七日市藩前田家の家臣達の消費地としての側面を持ち、領内の物資が集められ商家町としても発展しました。江戸時代末期から当地方では養蚕業が盛んな地域の一つでしたが、明治政府は養蚕を日本の主要な輸出品として位置付け、様々な検討の結果、富岡宿に日本で最初の官営製糸工場となる富岡製糸場が開設されると一大工業町として繁盛するようになり活況を呈しました。富岡製糸場は現在も当時の姿を非常に良く留めており、富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
・七日市宿 ・群馬県
・富岡市
・七日市宿は下仁田街道の宿場町ではありましたが、隣の富岡宿とは数百mしか離れておらず、富岡宿が物資の集積地として大きく発展した為、七日市宿は商業的には発展しませんでした。基本的に七日市藩の中心施設である七日市陣屋の陣屋町として町割りされ、家臣達が住まう武家町が主だった事で、現在も静かな住宅街となっています。
・一ノ宮宿 ・群馬県
・富岡市
・一ノ宮宿は貫前神社の門前町として成立した町です。貫前神社は古くから格式の高い神社として知られ、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では名神大社として記載され、上野国(現在の群馬県)で12社列記された中で最高位に位置付けられていました。平安時代には上野国の国司や源氏の棟梁だった源頼義、義家、戦国時代には領主が上杉家(関東管領、越後守護職)、北条家(小田原城を本拠として関八州を支配)、武田家(甲斐守護職)が変遷する毎に社領の安堵や社殿の造営が繰り返されました。江戸時代に入ると貫前神社は徳川将軍家の庇護の対象となり特に3代将軍徳川家光が社殿を造営しています。
・本宿 ・甘楽郡
・下仁田町
・本宿は中山道の脇街道である下仁田街道の宿場町です。中山道は難所が多く、碓氷関所では裸にされたり、髪を解いて調べられたりした為、特に女性は中山道を敬遠し下仁田街道を利用した為、姫街道とも呼ばれました。本宿は古くから周辺の中心として物資の集積場になっていましたが、下仁田街道が開削された事でさらに重要性を増しました。さらに、宿場の外れには西牧関所が設置され人物改や荷物改が行われました。現在でも街道沿いには古い町屋建築が軒を連ね良好な町並みが残されています。
・砥沢宿 ・甘楽郡
・南牧村
・砥沢宿は下仁田街道の脇街道の南牧道の宿場町として整備されました。戦国時代以降、砥沢鉱山では日本でも有数な砥石が産出された事で砥沢宿はその中継地として発展しました。又、江戸時代後期以降は養蚕業が盛んになった為、街道沿いには養蚕場と利用した町屋建築(2階や屋根裏が養蚕の作業場で、通路部分が外壁の外側に張り出し現在でいうバルコニーのような形状をしています。)が軒を連ね昭和初期を思わせる町並みが残されています。
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