海野宿・千国宿・青鬼集落・妻籠宿・渋温泉

  街道の空:(ホーム)日本全国:伝統的・町並み・探訪>長野県
項     目 場  所 備  考
・海野宿 長野県
・東御市
・海野
海野宿は何時頃発生したのかは不詳ですが、鎮守である白鳥神社は日本武尊が海野の地に滞在した事を記念して創建された古社で、境内は治承5年(1181)に木曽義仲が挙兵した地としても知られています。その後は木曽義仲の家臣とされる海野氏が長く当地を支配し、海野城の城下町として整備されました。戦国時代に入ると海野氏の後裔とされる真田氏が本拠を上田城に移した為、海野宿周辺の集落が上田城の城下町に移され衰微しましたが、江戸時代に入り北国街道が整備されると宿場町として整備されます。当初は田中宿の枝宿だったものの、大洪水で田中宿が大きな被害を受けると海野宿は正式な宿場町に格上げとなり本陣や脇本陣、問屋なども設置され、復興した田中宿を上回る繁栄を見せました。江戸時代後期になると海野宿は養蚕の一大先産地となり明治時代以降は大きく発展しました。特に2階や3階や屋根裏が養蚕場となった為、建物の上部の改修や増築が進み現在のような独特な町屋建築(長野県)が見れるようになりました。特に養蚕で財を成した家には「うだつ」を掲げる町屋も多くなり現在でも北国街道の街道沿いにはその名残を見る事が出来ます。海野宿は国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・千国宿 長野県
・小谷村
・千国
・千国宿は松本城の城下町と北陸道の宿場町で糸魚川陣屋の陣屋町を結んだ千国街道の宿場町として整備されました。千国の地は藩境でもあった為、松本藩は千国口留番所(関所)を設置して人や荷物の管理を行いました。又、在郷町としても機能し、周辺地域の中心として年末には市が開かれ多くの人達が集まりました。千国街道の街道沿いには現在でも茅葺屋根の古民家が点在しています(訪れた当時)。
・青鬼集落 ・長野県
・白馬村
・青鬼
青鬼集落(白馬村)が位置頃発生したのかは不詳ですが鎮守である青鬼神社は大同元年(806)に善鬼大明神を祀ったのを起源としている事から少なくとも平安時代には集落が形成していたと思われます。集落内には千国街道から善光寺を結ぶ善光道が通過していた事から多くの往来があったと思われます。傾斜地に位置していた事から地形を利用した棚田が設けられ、生産地(棚田)と居住区(集落)が近接している珍し集落構成をしています。現在でも青鬼集落は茅葺屋根(鉄板覆い)の古民家が数多く残され良好な山村集落の景観を維持しています。青鬼集落は「山村集落」として国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・妻籠宿 ・長野県
・南木曽町
・妻籠
・妻籠宿は室町時代中期頃に築かれたと推定される妻籠城の城下町として整備された町です。当初は木曽氏の持城の1つでしたが、武田信玄の侵攻により木曽氏が従うと、妻籠城下は宿駅として指定され重要視されていた事が窺えます。慶長6年(1601)に中山道(木曽路)が開削されると宿場町に指定され、本陣や脇本陣、問屋、旅籠などが設置され、さらに三州街道の飯田城下(飯田藩の藩庁)とを結ぶ大平街道の分岐点でもあった為に多くの旅人や商人達が利用しました。又、木曽谷に設けられた中山道の宿場町は木曽路とも呼ばれ特に風光明媚な景観や風景が点在した事から作品の舞台にもなりました。現在でも当時の町屋建築が数多く残され、良好な町並みを見る事が出来ます。妻籠宿は「宿場町」として国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・渋温泉 ・長野県
・下高井郡
・山ノ内町
・渋温泉は奈良時代の高僧である行基菩薩によって発見されたという古湯です。温泉街の最奥地に位置する温泉寺は嘉元3年(1305)、虎関師練国師により創建されている事から少なくとも鎌倉時代には存在していたと思われます。戦国時代には武田信玄が傷ついた家臣達の湯治場として庇護し、温泉寺にも寺領の安堵や武田家縁の品々を寄進しています。江戸時代に入ると北国街道と草津温泉を結ぶ草津道の宿場町となり、湯治客と共に、旅人や商人達が利用して温泉街も賑わいました。文人墨客にも愛され、佐久間象山、小林一茶、葛飾北斎などが利用しています。現在でも風情ある温泉街の町並みが残されています。
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