長久保宿(中山道・宿場町)

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長久保宿(中山道)
【長久保宿】−長久保宿(長野県長和町)は中山道の宿場町として成立した町です。真田家と繋がりが深く、長久保宿本陣の石合家は真田幸村の長女「すへ(菊)」の嫁ぎ先で、幸村が慶長19(1615)大坂夏の陣の直前に婿である石合十蔵道定に「父子事御安事、作兵衛方迄御尋尤候、我等篭城之上ハ、必死に相極候間、此世にて面談ハ有之間敷候、何事もすへこと心に不叶き候共、御見捨無之やうに頼入候、委者惣右可申候、謹言」と記した手紙を送っています。問屋である小林家も石合家と同様に元々真田家に仕え現在でも屋根の棟瓦には真田家の家紋である六文銭が掲げられています。石合家、小林家共に慶長5年(1600)の関ケ原の戦いの後は帰農し、長久保宿の開発に尽力し、それが認められ、石合家は本陣兼問屋、小林家は問屋を歴任しました。

【吾一・小池家住宅】−小池家住宅(呉一)は江戸時代末期から江戸時代初期に建てられた町屋建築です。生業は半農半宿だった事から1階は農家風の間取りで馬宿を兼ねていました。2階は養蚕場で現在は当時の養蚕道具が展示されています。外観は木造2階建て、切妻、鉄板葺き、平入、正面半間分下屋庇付、外壁は真壁造り、側面は白漆喰仕上げ(防火延焼防止)、正面は板張りで1階は出格子付。小池家住宅は長久保宿も多くの町屋建築が失われる中、数少ない当時の形状の残している遺構の1つとして貴重な存在で、現在は一般公開されています。

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