小田井宿(中山道・宿場町)

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小田井宿(中山道・大黒屋)
【小田井宿】−小田井宿(長野県御代田町)は戦国時代に尾台城の城下町として成立し、尾台城が落城すると町の変遷が図られ江戸時代以降は中山道の宿場町となりました。隣接する追分宿や岩田村宿と比べると目立たない存在で、明治22年(1889)に宿場の中心から離れた場所に鉄道駅舎が設置されると大規模な近代化が行われませんでした。その為、現在でも小田井宿には本陣(安川庄右衛門家)や上問屋(安川八郎右衛門家)、下問屋(尾台治部右門家)などの宿場上層部の建物や、大黒屋(小林伝兵衛家)や尾台屋(尾台喜右衛門家)、和泉屋(尾台治左衛門家)などの旅籠建築が点在し、水路などが残っている事から名称「中山道小田井宿跡」として御代田町指定史跡に指定されています。

【大黒屋】−小林家は中山道小田井宿の実力者の一人で、屋号「大黒屋」を掲げ小田井宿の名主を担う一方で旅籠を生業としていました。小田井宿の主要な寺院である宝殊院は戦国時代の永正年間(1504〜1520年)に法印幸尊によって創建されますが、小林傳兵衛が開基者として名を連ねています。小林伝兵衛は小田井宿の役人を歴任し荻生派の漢学者としても名を馳せ、測量技術や書にも長けていたそうです。一般的には小田井宿には飯盛女はいないと記されていますが、正式に認められていないだけで「宿の出女」や「婉女」と呼ばれる事実上の飯盛女が十数人以上働いており、江戸時代初期には「旅人の袖をとらへて苗代の 小田井へ引くや宿の出女 早苗とる小田井の宿の夕暮れは 小笠のあたま並ぶ旅籠屋」の狂歌が流行り、文政9年(1826)には大黒屋をはじめ多くの旅籠が幕府の一斉摘発を受け罰金(大黒屋は金八両一分)を支払っています。現在の主屋は江戸時代中期の元禄年間(1688〜1704年)に建てられた建物で、木造2階建て、切妻、鉄板葺き、平入、2階正面が張り出し1階の桁で支えられる出桁造り、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、玄関に大戸。小林家住宅(大戸屋)は改変されているものの、江戸時代中期の旅籠建築の遺構として貴重な存在で小田井宿の町並みに大きく寄与しています。

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