【金井宿】−金井宿は慶長10年(1605)に三国街道が開削された後の寛永20年(1643)に宿場町として町割されました。町の大きさは概ね5町(1町=109.1m×5町=545.5m)で左右に約30軒づつ周辺の集落から住民を集め、上之町、中之町、下之町の3町で構成、その後は大きく発展し家屋を200棟余りとなり旅籠も6軒運営していました。本陣は中之町に設置、代々岸忠左衛門家が歴任し、跡地には全国的にも珍しい地下牢が現存し渋川市指定文化財に指定されています。現在は所謂、町屋建築が軒を連ねる町並みは残っていませんが、僅かに白壁の土蔵や古民家、昭和初期頃の近代建築等が数棟三国街道沿いに点在している程度ですが、延命地蔵や石仏、石碑、道標(東至 吾妻橋・西至 伊香保町)、石祠などは比較的に残されているようです。又、宿場内にある金蔵寺は応永8年(1401)白井城(白井宿)の城主長尾清影が創建した古寺で、山門は杢の関所の門を移築したものと伝えられ境内にはシダレザクラ(群馬県指定天然記念物)やナンテン(渋川市指定天然記念物)、宝篋印塔(群馬県指定史跡)がのこされています。杢ヶ橋関所は三国街道沿いの吾妻川右岸に設置された関所で現在でも茅葺の役宅(武家屋敷)が残され群馬県指定史跡に指定されています。
【三国街道の宿場町】−金井宿|北牧宿|渋川宿|須川宿|横堀宿|
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