項 目 |
場 所 |
備 考 |
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・板取宿 |
南越前町 |
板取宿(南越前町)は越前(福井県)と近江(滋賀県)との国境近くに位置していた事から重要視され北陸道(北国街道)が開削される宿場町として整備され、福井藩の番所が設置されていまた。往時は50軒程の建物が軒を連ねていましたが、明治時代に入り街道制度や宿場制度が廃止になると宿駅としての役割が失われ、番所も廃止、さらに近世交通網から外れた事で宿場町自体も衰退しました。現在の板取宿には僅か数棟の茅葺屋根の建物が残されているのみですが、この景観が何とも情緒が感じられる伝統的な町並みで、訪れる観光客も見られます。
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・三国湊町 |
坂井市三国 |
三国湊は九頭竜川河口に位置しています。室町時代末期に編纂された「廻船式目」に日本の主要な港について記されており、その中に挙げられた三津・七湊の中に三国湊の名称が示されています。これにより、少なくとも室町時代には天下にも知られる程に繁栄していた事が窺えます。江戸時代に入ると、北前船の寄航地、九頭竜川舟運の拠点として多くの物資が集積され活気に満ちた港町でした。特に、福井城の城下町と丸岡城の城下町との外港でもあった為福井藩や丸岡藩から庇護され、多くの豪商を輩出し、明治時代には銀行を経営する者も現れました。現在でも明治時代末期から明治時代にかけての町家建築が数多く残され、港町らしい伝統的な町並みを見る事が出来ます。 |
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・越前大野 |
越前大野市 |
大野城(福井県大野市)は戦国時代に金森長近によって築かれた山城です。以来、当地方の中心として重要視され寛永元年(1624)に松平直政が入封して越前大野藩を立藩、城下町は藩都として発展しました。特に第7代藩主土井利忠は藩政改革を断行し、寅年御国産之御仕法と呼ばれる倹約、地場産品奨励を行い、それに伴い保護貿易や面谷鉱山の藩直営、藩校明倫館の創設、軍制改革、大坂大野屋(藩自ら商人のように、特産物を他国に売り捌き、金融業も行ったとされます)の開業、北蝦夷地開拓、大野丸の建造などを行い、大野発展に尽力しました。現在でも田村又左衛門家住宅などの武家屋敷が点在する武家町や土井家の菩提寺である善導寺が境内を構える寺町、朝市が開かれる町人町などの伝統的な町並みが残され、城下町らしい風情が感じられます。
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