別所温泉・奈良井宿・木曽平沢・稲荷山宿

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項     目 場  所 備  考
・別所温泉 長野県
・上田市
・別所温泉は景行天皇の時代に日本武尊が発見したという温泉街です。現在の上田市周辺は信濃国府や国分寺、国分尼寺が設置された信濃国の中心だった事から比較的早くから開発進み、日本書紀に記載された「束間温湯」が別所温泉だったという説もあります。さらに、平安時代に清少納言によって編纂された「枕草子」に「湯は七久里、有馬の湯、玉造の湯」と当時日本の著名な温泉(日本三名泉)を記述があり、その内の「七久里の湯」が別所温泉とされます。これは、日本武尊が別所温泉を発見した際、7つの源泉を見つけ、7つの効能(苦難)に効く事から7苦難の湯と呼ばれ、それが転じて七久里の湯と呼ばれていたとの伝承が起因としています。鎌倉時代中期には鎌倉幕府執権の北条氏の一族が塩田平に配され、塩田北条氏として当地域を開発し、安楽寺三重塔(国宝)や北向観音、生島足島神社などの造営や改修、塩田城の築城などを行なっています。又、順徳天皇が編纂した「八雲御抄」の中で日本の温泉についての記述があり、その中でも名取御湯、三函御湯(又は犬養御湯)、信濃御湯(別所温泉の事)の3つの温泉だけが「御」の字が付けらていた事から「日本三御湯」に数えられました。江戸時代に入ると上田藩が保護し、藩主や家臣達も湯治場として利用しています。
・奈良井宿 長野県
・塩尻市
・奈良井
・奈良井宿の集落的な発生は不詳ですが、中世に奈良井氏により奈良井城が築城され、その城下町として整備されたのが始まりとされます。天文元年(1532)に木曽義在が専念寺を創建している事から、この頃には奈良井周辺が木曽氏の勢力圏内だったと思われ、木曽氏は義元・義在・義康の3代で大きく領地を広げており、その過程が窺えます。天文2年(1533)には義在が宿場町として整備し奈良井城には子供である、奈良井義高(奈良井氏の名跡を継いだと思われます。)を配しました。天文18年(1549)、武田晴信(後の信玄)の侵攻による「第一次鳥居峠の戦い」では木曽氏方が勝利したものの、天文24年(1555)に再び武田家が木曽谷に侵攻すると大きな抵抗なく従ったと思われます。その後、武田家が定めた宿駅にも指定された事で、重要性が維持され、慶長6年(1601)に中山道が開削すると宿場町として整備されました。奈良井宿は中山道(木曽路)の難所の1つ鳥居峠を控えていた事から参勤交代で中山道(木曽路)を経路とした大名や旅人、商人などが利用し、さらに木曽塗りなどの職人が数多く居を構えていた事から「奈良井千軒」と称される程に繁栄しました。現在でも当時の町屋建築が軒を連ね良好な町並みを形成しています。奈良井宿は国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・木曽平沢 ・長野県
・塩尻市
・木曽平沢
・木曽平沢は中山道沿い集落です。正式な宿場町ではなかった為、本陣や脇本陣、旅籠、問屋などの公共性の高い施設は設けられず、奈良井宿の枝宿という立場でした。その為、宿場以外での現金収入を目指し、木曽谷の気候風土と良質な木材と漆の材料が比較的容易に手に入った事から漆器生産が盛んになり、江戸時代後期には一大生産地として「木曽漆器」が全国的に知られる事となり中山道の御土産品としても人気を博しました。現在でも漆器が生産場だった独特な町屋建築が数多く残され、良好な町並みを見る事が出来ます。木曽平沢は「漆工町」として国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・稲荷山宿 ・長野県
・千曲市
・稲荷山
稲荷山宿は天正10年(1582)に上杉景勝が築城した稲荷山城の城下町として整備された町です(稲荷山城の築城年、築城者には諸説有り)。江戸時代に入り善光寺西街道(北国西街道)が開削されると宿場町として整備され、谷街道(松代道)の分岐点でもあった為、物資の集積場、中継地として大きく発展しました。稲荷山宿は善光寺西街道谷街道の宿場町のなかでは最もと繁栄し、江戸時代後期になると繭や生糸・絹織物などを取り扱う呉服問屋が軒を連ねるようになり、明治時代初期には北信濃の最大の商業都市となり数多くの金融機関なども進出しました。現在でも当時の店蔵や土蔵、町屋建築が軒を連ね、往時の町並みが残されています。稲荷山宿は「商人町」として国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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