日光例幣使街道(群馬県・栃木県)

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項     目 場  所 備  考
・今市宿 栃木県
・日光市
・今市宿は日光例幣使道日光街道会津西街道、大田原道(日光北街道)が交差する交通の要衝でした。江戸時代初期までは徳川家の御殿が設けられ、将軍家が日光東照宮に参拝する際には宿所として利用されました。江戸時代中期には8代将軍徳川吉宗が日光街道と日光例幣使街道の追分に建立された地蔵堂に安置されていた地蔵尊に掛けられていた白幕を外させています。江戸時代末期の戊辰戦争の際には会津西街道が会津領に通じていた為、今市宿が激戦地となりました。旧幕府軍は宇都宮城(栃木県宇都宮市)が落城すると一端会津領に引き上げ、体制を整えてから会津西街道の今市口に陣を張った新政府軍に攻撃を仕掛けますが連携が悪く大きな戦果を挙げる事なく撤退、新政府軍を率いた板垣退助は頑強な陣地を構築しました。その後再び旧幕府軍が攻勢を仕掛けましたが敗北を喫しています。
・嘉右衛門町 栃木県
・栃木市
・嘉右衛門町
栃木市嘉右衛門町は戦国時代末期に岡田嘉右衛門の尽力により開村し、開発者の名前に因み嘉右衛門新田村と呼ばれるようになったのが発生の起源となっています。元和2年(1616)、江戸幕府初代将軍徳川家康が死去し、翌年、日光(栃木県日光市)に遷座すると、家康の命日に行われた日光東照宮の例祭に合わせて朝廷から幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が遣わされ、その通行に利用される日光例幣使道が開削されると、街道沿いの集落として多くの旅人や商人が往来するようになりました。さらに、物流経済の発展に伴い巴波川舟運が盛んになり、舟運の拠点として整備されました。江戸時代中期以降になると多くの商家が出店するようになり経済的にも発展し江戸時代後期から明治時代初期にかけては北関東有数の商業都市とまで言われる程に賑わいました。又、旗本である畠山家の陣屋が設置された事で領内の行政的な中心でもありました。現在でも日光例幣使道沿いには良質の町屋建築(栃木県)や土蔵建築が建ち並び往時の町並みを維持している事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・倉賀野宿 群馬県
・高崎市
・倉賀野
倉賀野宿中山道日光例幣使街道が分岐する交通の要衝でした。中世は当地を支配する倉賀野氏の居城である倉賀野城の城下町として町割りされましたが、戦国時代に正統な倉賀野氏は没落(倉賀野尚行は春日山城の城主上杉謙信を頼って越後国(現在の新潟県)に逃れた)、名跡を継いだ家臣である金井秀景も天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原攻めの際に北条氏に与し小田原城に立て籠もった為、倉賀野城も攻撃対象となり、大軍の前に開城降伏しています。金井秀景も戦乱の中死没した為、倉賀野城は廃城になりましたが、江戸時代に入り中山道が開削されると宿場町に指定され、改めて町割りが行われています。又、倉賀野宿には烏川舟運の河岸が隣接していた事で物資の集積地として経済的にも発展、さらに隣の高崎宿は高崎城の城下町でもあり風紀的に厳しかった事から倉賀野宿には多くの飯盛り女が務め繁盛しました。
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