中山道(群馬県:倉賀野宿)

  街道の空:(ホーム)日本全国:伝統的・町並み・探訪>中山道(群馬県:倉賀野宿)
項     目 場  所 備  考
・倉賀野宿 群馬県
・高崎市
・倉賀野
倉賀野宿中山道日光例幣使街道栃木県日光市に鎮座する日光東照宮を結ぶ街道)分岐する交通の要衝でした。中世は当地を支配する倉賀野氏の居城である倉賀野城の城下町として町割りされましたが、戦国時代に正統な倉賀野氏は没落(倉賀野尚行は春日山城の城主上杉謙信を頼って越後国(現在の新潟県)に逃れた)、名跡を継いだ家臣である金井秀景も天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原攻めの際に北条氏に与し小田原城に立て籠もった為、倉賀野城も攻撃対象となり、大軍の前に開城降伏しています。金井秀景も戦乱の中死没した為、倉賀野城は廃城になりましたが、江戸時代に入り中山道が開削されると宿場町に指定され、改めて町割りが行われています。又、倉賀野宿には烏川舟運の河岸が隣接していた事で物資の集積地として経済的にも発展、さらに隣の高崎宿は高崎城の城下町でもあり風紀的に厳しかった事から倉賀野宿には多くの飯盛り女が務め繁盛しました。
・高崎宿 群馬県
・高崎市
・高崎宿は三国街道中山道草津街道(信州街道)が分岐する交通の要衝として古くから重要視された地域です。中世は箕輪城が軍事、行政の中心でしたが、慶長2年(1597)に徳川家康の命により箕輪城の城主井伊直政は当地にあった和田城を整備拡張を行い、地名を高崎に改め高崎城が完成しています。慶長9年(1604)に酒井家次が高崎城に入り高崎藩を立藩、しかし、江戸時代前期は有力譜代大名が次々と藩主が交代し、享保2年(1717)に松平輝貞が高崎藩の藩主に就任するとようやく藩主が安定し、松平家が明治維新まで歴任しています。
・碓氷横川 ・安中市
・松井田町
碓氷横川中山道沿いに開かれた集落で、中山道の中でも最大の碓氷関所を控えていた事から重要視さ、横川茶屋本陣が設置されていました。茶屋本陣は正式な本陣ではなかったものの、それに準じる格式を備えており、建物の仕様などが通常の町屋建築と異なり玄関や座敷などの意匠も厳しく決まりがありました。特に碓氷関所では大名が正式な服装で望んだ為、茶屋本陣では関所に入る前の場合は正装に着替え、逆に関所から出た場合には旅装に戻すという作業が行われました(反対側は坂本宿の本陣で行われた)。現在でも横川茶屋本陣の遺構が残され群馬県指定史跡に指定されています。
日本全国:伝統的・町並み・一覧
宮城県栃木県茨城県群馬県群馬県2新潟県新潟県2長野県長野県2長野県3木曽路山梨県富山県
富山県2石川県石川県2福井県福井県2静岡県岐阜県岐阜県2岐阜県3愛知県滋賀県滋賀県2
鳥取県島根県茅葺屋根集落温泉街全国の街道:一覧表
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。